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「11/23新嘗祭」から紐解く、酒造りと日本人のメンタリティ

2020/11/23

最終更新日:2020/11/30

こんにちは。三軒茶屋醸造所 杜氏の戸田です。

本日は祝日、勤労感謝の日ですね。
さて、勤労感謝の日とはその年の豊穣を祝う「新嘗祭(にいなめさい)」に由来することはご存知でしょうか?

1.新嘗祭と日本人のメンタリティ
2.マレビトのためにつくるハレの酒「待ち酒」
3.常に新しいものを尊ぶ文化性
4.ハレの日の「待ち酒」を可能にした米の保存性の高さ

米

1.新嘗祭と日本人のメンタリティ

新嘗祭とは、「新米(新穀)を嘗める(なめる)=食すこと」。つまり、その年の収穫を神にお供えしながら、自分たちも共に食べて祝う行事のことを指します。
このお祭りは毎年11月23日に宮中を始めとして、日本全国の神社で行われます
ちなみに、新嘗祭では新米を使って醸した白酒と黒酒という、白濁したものと灰をいれたお酒が造られ、供えられます。新嘗祭新嘗祭(出展:伊勢神宮

日本では、このような祭事にまつわる儀礼などは奈良時代から平安時代にかけて生まれたと考えて良いでしょう。(ちなみに新嘗祭自体の起源は『古事記』とされますが、儀式的手順が定まったのは平安時代あたりと推測されます。)

日本酒の様々な造りが記される『延喜式(えんぎしき)』が代表例です。
そしてその頃の酒醸造の文化を紐解いて見ると、現代にもつながる日本人のメンタリティが垣間見えてくると考えています。

 

2.マレビトのためにつくるハレの酒「待ち酒」

さて、奈良時代末期に編纂された『万葉集』には以下のような歌が詠まれています。

君がため 醸みし待ち酒 やすの野に ひとりや飲まむ 友なしにして (大伴旅人)

客人のために造ったお酒を一人で飲むことの悲哀を綴った歌です。
ここで歌中の「待ち酒」に着目してみたいと思います。待ち酒とは客人の歓迎やハレの日に備えて、前もって醸しておく酒のことを指します。

ここに折口信夫氏が提唱する「マレビト」の概念とあわせて考えてみます。マレビトとは“稀人”or“客人”と漢字があてられ、外部からの来訪者を指します。
マレビト文化はお盆につながるような、自分たちを悪霊から守ってくれる霊的存在が自分たちの共同体へ帰還する際に歓待することから始まります。

しかし、やがて外部から来訪する旅人達もマレビトとして扱われることになってゆきます。さらに時代を経ると、乞食や流しの芸能者までがマレビトとして扱われるようになり、それに対して神様並の歓待がなされるようになったとさえ云われます。

そこから発展すると、客人の歓迎とは神を祀ること=ハレの日の行為

つまり酒とは「待ち酒」として客人の歓待や祭りのために毎回醸造していたものと推測されるのです。

その背景として、当時のお酒は悪くなりやすかったことがあると想像されます。十分な保存設備もないため、せっかく造ったお酒が腐造することもしばしばだったでしょう。そのためハレの日ごとに新しくお酒を造ることが文化として根付いていったことも容易に想像されるのです。

 

3.常に新しいものを尊ぶ文化性

もう少し祭事について覗いて見ると、神酒を呑むカワラケ(素焼きの土器)は、一度使ったら二度と使わないのがしきたりとされます。伏見の稲荷大社の大山祭では、神事が終わると、飲み干したカワラケを谷に向かって投げすてる「カワラケ投げ」が行われるといいます。

また、神社での祭事を見てみると、伊勢神宮では20年に一度、宮地を改め、社殿や神宝をはじめ全てを新しくする式年遷宮という祭りが行われます。

伊勢御遷宮参詣群衆之図伊勢御遷宮参詣群衆之図(出展:伊勢神宮

天皇即位の際に行われる大嘗祭の時も、大嘗宮といわれる祭殿が新たに建てられますが、式典が終わると取り壊されてしまいます。

ここに日本人のメンタリティ、とりわけ常に新しいものを尊ぶという精神性を覗くことができます。

あるいはハレとケについて(ハレとは非日常 ケとは日常)と置き換えることもできます。
ケガレは気枯れとも記されます。
日常生活を営む生命力の枯渇を祓うため、ハレの日の神や客人を歓待する祭りが行われていたことを考えると、日常の生活が染み付いたものや年月が経ったものを捨てる“新たな生まれ変わり”を特別なものであるとしてきたのでしょう。

新嘗祭も五穀豊穣を祝うだけでなく、その年の新しい作物に対する歓びもおそらくあったのでは無いかと推測することも容易です。このような考え方が、酒の香味や酒文化についても少なからず影響を与えているのではないでしょうか。

古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。すぐれた文化のみが、人間の感覚を洗練し、美化し、豊富にすることができるからである。それゆえ、すぐれた酒を持つ国民は進んだ文化の持ち主であるといっていい」

以上は坂口謹一郎先生の『日本の酒』にて出てくる一文です。

日本の酒

新嘗祭から紐解いてきた精神性は文化以外の何物でも無いでしょう。「文化」とは特定の集団の中で生まれ、継続されてきた固有の生活習慣といえます。

文化=cultureの語源はculitivate=農耕とされますが、『銃・病原菌・鉄』『サピエンス全史』などのビッグヒストリーを綴る書籍を中心に論じられる通り、狩猟採集の移動生活から定住生活へと以降するためには農耕の要素が欠かせません。やがて定住化は大規模になり、村から都市を生む、つまり都市化=civilization=文明が誕生することになるのです。

日本では文明が発展し、文化として大きく花開いた時期の1つが奈良時代-平安時代だったと云えるのではないでしょうか。
そこには現在にもつながる文化も垣間見ることができます。

祭事では、神に捧げた酒を一つの大杯に入れて皆で回し飲む直会(なおらい)が行われ、 お供えしたものを神、そして共同体の構成員全員が共に食べて一体化する、神人共食の意味を持ちます。
これが日本の宴会のルーツとされます。

 

4.ハレの日の「待ち酒」を可能にした米の保存性の高さ

待ち酒の話に戻りましょう。日本では神/客人を歓待するため、一年を通じてその度に「待ち酒」を醸造してきました。そしてそれを可能にしているのは、ひとえに穀物の保存性の高さからと言っても過言では無いでしょう。

ワインでは葡萄の収穫期しか造れない(そういえば、ボジョレーヌーボーの解禁日も11/19と最近でしたね。)のに対し、日本ではやがて四季の気侯にあわせた醸造技術を生み出すようになりました。
江戸の時代には春酒、菩提、彼岸酒、新酒、間酒、寒前酒、正月酒など季節により醸造方法も香味もそれぞれに違う酒が楽しまれました。

しかし、やがて日本酒は寒造りへと統合されていきます。それには江戸時代、徳川幕府の酒造統制が関係してきます。

寒い時期に造る方が腐造が少なく香味も良い酒ができる、という面がよく取り上げられますが、その他にも新米の需給調整という側面もございます。
新米をすぐに使うことは需給バランスを崩すため、当時の酒造りでは叶いませんでした。

その後、寒造りは酒造りに大きな影響を及ぼすことになりました。やがて酒造りは農閑期の農民の出稼ぎによって労働力が賄われ、やがて杜氏という酒造職人と蔵人集団が生み出されることになるのです。

さて、三軒茶屋醸造所では夏の一時の清掃期間を除き、ほぼ四季醸造を行っています。
毎回出てくるお酒は新しいレシピのもので、様々な香味のお酒が醸造されます。その季節ごとにお酒を楽しむということを常に意識して、現在の文化風習を取り込みながら香味や製造方法も工夫して、醸造にあたっています。

今日は新嘗祭の日、白酒としてどぶろくを楽しむのもよし、または収穫の秋の恵みを使って醸したどぶろくもいかがでしょうか?

《小布施栗を贅沢に使用》三軒茶屋のどぶろく〜栗〜

《小布施栗を贅沢に使用》三軒茶屋のどぶろく〜栗〜

長野県の名産 小布施栗を贅沢に使って醸造したどぶろくです。麹の使用量を普段より増やすことで甘味も旨味もぐっと増し、燗酒にしても美味しいこの季節にピッタリのお酒です。

三軒茶屋醸造所の杜氏 戸田京介

Text by TODA
WAKAZE三軒茶屋醸造所2代目杜氏。
埼玉県戸田市出身。名字と出身地が同じという稀有な人材。肩書の長さには自信がある。会うたびに髪が長くなっているとの噂があり、社内でも髪型の方向性がわからないという声が度々上がる。酒造履歴としては、三軒茶屋醸造所立ち上げ直後から蔵人として杜氏 今井翔也に師事。同年冬には千葉・木戸泉酒造と群馬・土田酒造にて修行し、翌年9月の今井渡仏にあわせて三軒茶屋醸造所での酒造業務を任される。2020年4月より、三軒茶屋醸造所杜氏として指揮をとる。

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